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「奏でる乙女」の像
戦後、六本木地区の復興として昭和22年より区画整理事業が開始されました。しかし終戦後の混乱期にあり事業は非常に難航し、7年の歳月を要しましたが、関係者の努力と町民の援助により昭和29年完成しました。
これを記念して、平和と協力とを象徴する本郷新先生の「奏でる乙女」を街角に設置しました。

本郷新は近代日本の彫刻家として、きわめてスケールの大きな作家。 その作品群はみなさんも街のどこかで目にしたことがあるでしょう。 札幌大通公園の「泉の像」、稚内市の「氷雪の門」、戦没学生記念像「わだつみのこえ」、札幌の第11回冬季オリンピック記念碑「雪華の舞」も彼の作品のうちのひとつです。 彼の作品はどれもバラエティに富み、巨大なモニュメントから、小品の首にいたるまで、幅広い制作を手がけていたのです。



1905年(明治38)
12月9日、6人兄弟の次男として北海道札幌市に生まれる。
1925年(大正14)
19才、東京高等工芸学校彫刻部(現千葉大学工学部)入学、彫刻修行の第一歩が始まる。
1928年(昭和3)
22才、卒業後、国画創作協会彫刻部第1回展に〈少女の首〉初入選。この頃より高村光太郎に師事。
1934年(昭和9)
28才、国画会会員となる。この頃よりモニュマンへの関心強まり、次第に大作に取り組む。
1939年(昭和14)
33才、「国画会」を退会し佐藤忠良らと新制作派協会彫刻部を創設。
1942年(昭和17)
36才、冨山房より「彫刻の美」を出版し、ベストセラーとなる。
1946年(昭和21)
40才、専門家・非専門家の枠をはずし「民主的な芸術の創造と普及をめざす」会の発展に努める。
1953年(昭和28)
47才、戦没学生記念像〈わだつみのこえ〉が立命館大学に建つ。
1959年(昭和34)
53才、日本国際美術展(毎日新聞社主催)に木彫〈哭〉を出品、優秀賞受賞。この年より1986年まで高村光太郎賞選考委員をつとめる。
1960年(昭和35)
54才、広島市記念公園の中に〈嵐の中の母子像〉建つ。
1971年(昭和46)
65才、札幌市真駒内に、冬季オリンピック記念碑〈雪華の舞〉、五輪橋に〈花束〉一対建つ。
1975年(昭和50)
69才、「新制作協会」会員となる。
1978年(昭和53)
72才、北海道文化賞を受賞。
1980年(昭和55)
74才、2月13日、東京の自宅にて肺がんのため死去。

●札幌彫刻美術館にて、本郷新の彫刻作品等を常設展示しております。



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